1998年12月28日(月)
パプアニューギニア 4日目 (ポートモレスビー to クンディアワ)


 今日はクンディアワ(Kundiawa)に向けて出発です。 しかし、飛行機のチケットは、またしてもキャンセル待ちのチケットです。 確実に飛行機に乗るために、朝早く空港に出かけることにしました。 空港まで送ってもらい、窓口に行くと無事に座席は確保することができました。 さすがに早く行った甲斐があって、座席番号は1番でした。 ジェームズは仕事があるというので、帰ってしまいました。 非常に暇です。

 暇なので寝ているうちにだいたい時間になりました。 国内線用の乗り場に行くと、もう少し待ち時間がありました。 飛行機は、ものすごく小さなプロペラ機です。 オーストラリアで乗ったセスナ機よりはさすがに大きいですが、通路を挟んで横2列2列で、100人乗れるか乗れないかといったところでしょう。 飛行機には歩いて行って、小さなタラップを上ります。
国内線の飛行機
機内食にはクッキーとコーヒーが出てきました。 隣のおじさんが、クッキーの袋の開け方が分からず、歯で必死になって開けようとしていたので、開けてあげました。 切り口が付いているので、ひらちゃんにとっては、いとも簡単です。 こんな小さな飛行機落ちたらどうしよう、と思いつつも、その思いとは反して飛行機は順調に航行を進めます。 1時間半ほど乗ると、目的地クンディアワです。

 空港に飛行機が着くと、空港を囲んでいるフェンスに黒山の人だかりができています。 もしかして、すごい有名人が乗っているのか、といった雰囲気です。 しかし、まわりにはそれっぽい人はいませんでした。 後で聞いてみたところ、誰か知っている人が帰ってきていないかと、飛行機が着くたびに、みんな、見に来ているそうです。 電話があまり通じないところならでは、というところでしょうか。
飛行機から降りる人を
見るための人だかり

 空港と言っても、小屋が一軒建っているだけです、荷物を直接受け取り外に出ます。 窓口で、帰りのリコンファームをしたいと言ったところ、今、電話がつなが らないので出来ない、ということでした。 料金を支払わなかったために街間の衛星回線を止められてしまったそうです。 うーん、なんとも、激しいところに来たぞぉ。

 小屋を出ると、そこは、街です。 街といっても店が20件くらいと、大きめの市場があるだけです。 マイケルに書いてもらった地図を見ながら、バス停を探します。 友人の住む村へは、ここからさらにバスに乗らないといけないのです。 友人からの指示は、まず、韓国人の経営する店があるので、そこで尋ねてみて、ということでしたが、ま、これくらいのところなら、自力で探せそうです。

 地図を頼りに歩くと、すぐに街の端まで来てしまい、バス停らしき物は見つかりませんでした。 仕方がないので、その韓国人のお店を探すことにしました。
みんな写真が大好きだ
(真ん中がひらちゃん)
ちょっと戻ったところで、高校生くらいの少年が声をかけてきます。 「もしかして、ギグマイの友達かい?」 そう、ギグマイというのは、僕の尋ねようとしていた友人のパプアニューギニアでの名前です。 こんなところで、知り合いに会うとはラッキーです。 話を聞くと、飛行機を見ていた黒山の中の一人で、そのときから日本人である僕を見つけて、ギグマイの友達じゃないかと思って声をかけたそうです。 そして、バス停へ案内してもらいました。 そこは、さっき来た街の端でした。 近くには、軽トラックが2,3台止まっていました。 あ、そういうことね。

 近くの芝生に座って話をしていると、ものすごくたくさんの人が集まってきました。 30人くらいはいたでしょうか。 ギグマイはちょうど、隣町のゴロコまで電話をかけに行っているそうで、しばらくすると、戻って来るという話でした。 長老のような人がいろいろ話をしてくれますが、覚えたてのトクピシンはなかなか聞き取れません。

 しばらく待っていると、ギグマイがこっちの方に歩いてやって来ました。 僕のことにも気づいたようです。 久しぶりの再会です。 数日前にオーストラリアから出した手紙は、まだ、届いていないそうで、まさに、突然訪ねたわけです。 しばらく話をして、バスが出るというので、バスに乗り込みました。 バスと言っても軽トラの荷台です。
こんな感じの山なみ
運転しているのは近所の警察官だそうです。 もちろん、無許可で運行されているので、ばれると話がややこしいようでした。 バスは舗装もされていない激しい山道を突き進みます。 谷を一回下って、川を渡り、また、山を登るというような感じです。 友人のギグマイはあちらこちらで声をかけられます。 かなり有名人なようです。 しばらくして、バスが停車しました。 運賃を回収するためと、なんと、ラジエータに水を補給するためです。 水は漏れ続けているので、補給しながら走らないといけないそうです。

 20分ほど行ったでしょうか、ガガガガという音とともにバスが急停車しました。 シャフトが壊れたとかそんなことを言っていました。 営業はここまでです。 後は、山道を歩くことになりました。 ま、それも悪くありません。 なかなか気持ちがいいものです。 ここは、標高が2000mを越えています。
ギグマイは人気者だ
(真ん中の黄色いシャツ)
山道を歩いていると、心持ち息苦しい感じがします。 さすがに高地なので、赤道直下にも関わらず、気候は涼しいです。 このあたりは、少し前まで民族間の争いがあり、ちょうどその境界上だったことからボダと呼ばれています。

 しばらく歩くと、いくつかの家が見えてきました。 いかにも手作りという感じの家です。 友人がお世話になっている長老宅に僕もおじゃまさせてもらうことにしました。 そう、さっき街にいたあの長老です。 家の中にはキリスト教関係のいろいろな物が置かれています。 似非宗教で稼いでいるのだそうです。 部屋の隅にはいろりがあり、ひこし棒で火を起こします。 あっという間に火をつけてしまいます。 すごい技術です。

 ここは日本とは生活が全く違います。 トイレは、崖のある場所。 水道は川です。 川は2本あって、1つは食器や衣類を洗ったり、食用の水を取得するところ、もう一つは、体を洗うところと、はっきりと分類されています。
部屋にいた子供たち
ただし、上流で同様の分類が行われているかどうかについては定かではありません。 電気やガスももちろんありません。

 夜になると、ランプを使用します。 ランプの明かりといろりの明かりが醸し出す雰囲気はすばらしいものです。 夕食は、街のスーパーで買い出しした、お米を炊いてもらいました。 おかずは缶詰です。 夕食後は近所の人たちもわいわい集まって来てにぎやかでした。 お客としてもてなされることもなく、気軽に話をしたという感じでした。

 夜は寝袋で眠りました。 他の人たちは毛布にくるまったり、そのままだったりといろいろです。 ただ、やはり夜になると、毛布なしでは寒いそうでした。 おやすみなさい。

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